shunbourianの日記

SEをやっているリーマンのブログ。好きなお酒とか、読んだ本とか、いろいろ。

加齢と老い

30歳を超えたあたりから、集中力が減退した。

集中力だけではなく、体力や新しいものへの興味や意欲も同じく減退したように思える。

このくらいの年齢になってくると仕事も中堅社員といった立場になってきて、新しい仕事を振られたり後輩の指導もあったりで、知らず知らずにストレスがたまる毎日だ。

出世意欲はないが、それでも上司の期待には答えようと思っているし、やるべき仕事はきちんとこなそうと思っている。それが自分の今後のキャリアのプラスになるならば、やるべきだからだ。

一方私生活も、独身であれば多少は悠々自適に暮らせるのだろうが、あいにく自分は独身ではない。家族と過ごす日々は良いものだが、現在や今後の暮らしだとか、将来設計だとか、老後の問題だとか、親の問題だとか、考えるべき問題が多くのしかかってくる。ある意味、家族の結びつきというのは、仕事よりも遥かに難しい問題だ。

 

このように、人間は考えるべきパラメータが増えると生き辛くなることを実感している。

 

自分としては、新しいものへの意欲が減退したことがショックだ。

10代後半〜20代中盤にかけては、少しでも世の中の新しい技術をしりたいと思って、いろいろな技術書を買って読んだりした。ネットの記事を読んで、実際にPC上でコードを動かして遊んだりしていた。

また、技術以外にも熱心に読書をしていた。世界の名著と呼ばれるものを読んだり、ピューリッツァー賞受賞本などを中心に読み、すこしでも知識を吸収したいと思っていた。「技術者は技術だけ知っていれば良いのではない。物事を深く考える哲学的思考や人間としての感性を磨かなければ良いものは生まれない。」という根底の思想があったからだ。

 

 

大学生の頃に読んだ書籍、『スーパーコンピューターを20万円で創る』*1の中で、以下の印象的な一文がある。

たとえ自分が主役になれなかったとしても、少なくともそういう時代が来たときに、知識を共有できる立場にはいたいと切望していた。

(P14)

この書籍の書き手であり、主人公の伊藤さんは宇宙物理学に興味をもっていて、いつかは宇宙の謎を解き明かしたいと強く思っていたそうだ。

 

自分がこの本を読んだとき、一番感銘を受けた一文である。

そう、まさに自分もその当時このように考えていたのだ。

コンピュータとインターネットに可能性を感じて、いつかはそういった業種に関わり、エンジニアになりたいと中学のときに思った。たとえ自分がその分野の第一線に参加できなかったとしても、きたるべき時代が訪れたら、そういった技術的な話を理解できるような、そんな人間になりたかったのだ。

きっとそういう想いが10代後半〜20代中盤の自分を触発していたのだと思う。 

さまざまな欲求が減退してきて、昔に比べたらだいぶ細くなってしまったが、まだその想いは自分の中にある。

 

最近は心の中の細い想いにすがるように日々生きているような気がする。

その細い「藁」を離したら、きっと自分はだめになるんじゃないかといった焦りや恐怖心と、どうしようもない物理的な衰えと戦っている。

 

人間は33歳を過ぎたころから新しい音楽を聞かなくなるそうだ。これは日本だけではなく、全世界でみられる傾向だという。若い頃に聞いた音楽を繰り返し聞き、最近の音楽に興味がなくなる。なぜそうなってしまうのか詳しいことはわかっていないとのことだが、若い時期に聞いた音楽はその当時の楽しかった思い出を想起させ、脳内でドーパミンが放出されるためではないかという仮説があった。

 

自分の楽しかった時期、多感な若い時を思い出して感傷に浸るのも悪いことではない。

「思い出は優しいが、甘えてはいけない。」これは某ゲームのキャラクタのセリフだ。

 

 

 

昨日、妻の昔ながらの友人が亡くなったとの連絡があった。

訃報をきいて人生について久しぶりに考えた。

30すぎると友人や親族が亡くなったという連絡がしばしばくる。

自分の人生を振り返り、まだ生きているし、とりあえず健康でもあり、人並みの生活ができている。

だからこそ、なぁなぁに生きるのではなく、自分ができることを精一杯やらなければならないと思った。

今一度、自分の原点に立ち返り奮起したいと思う。

ここが変化点かもしれない。このまま日々の生活に埋もれていくか、衰えを受け入れながらも良い意味で昔を思い出して新しいことへ果敢に挑戦していくのか・・・。

 

私は果敢に挑戦する自分でありたい。

たとえ細い「藁」にすがってでも。

*1:伊藤智義, 集英社新書, 2007/6/15